僕の大学の生活と勉強の価値

僕は大学1年生のときラクロス部に入っていました。

入部の理由は何か夢中になれるものが欲しかったからです。

 

「とにかく何かに夢中になりたい。何かで大きな実績を残したい。」

そう思っている僕にとって、マイナースポーツでみんなが大学から始めるラクロスは最高のスポーツでした。

 

 

入部後、僕はめちゃくそ努力をしました。

 

一人で3時間自主練をすることもよくありました。

 

先輩も素敵な方ばかりで、毎日が充実していました。

 

 

 

しかし、一年生の冬、事件が起こります。

 

 

僕が地元に帰った時です。

 

僕は家族や友達に熱っぽく今の部活の話をしました。

 

すると・・・・

 

 

悲しいかな。

 

ほとんどのひとが興味が無さそうな反応を示したのです。

 

 

今考えれば、マイナースポーツもいいところなので、そうなって当然なのですが、当時の僕はめちゃくちゃショックでした。

 

 

「え・・・・。毎日の俺の努力はなんだったんだああ??」

そう思いました。

 

自分の努力に完全に価値を見出せなくなった僕は大学一年生でラクロスをやめました。

 

 

 

部活を辞めたのち、二年生になった僕は、ゲームをやり込んだり、映画を見まくったりしながら、夜中に寝て、昼間に起きるという自堕落な生活を送りました。

 

 

僕は中高生のとき、「勉強とかしないで、ずっとダラダラできたら最高だろうな。」と思っていたので、ある意味その夢が実現しました。

 

しかし、その生活は

 

クソつまらなかったです。

 

なんか人相も悪くなっていました。笑

 

 

 

 

そんなクソみたいな生活をしていたある日、僕は大学の経営学の講義で「VRIO分析」について学びました。

 

 

VRIO分析」とは、企業が持つ経営資源の強みや弱みを分析するフレームワークのことなのですが、

 

「V:Value(社会的な価値)」

「R:Rareness(希少性)」

「I:Imitability(模倣可能性)」

「O:Organization(組織)」

 

という4つの観点から企業を分析するというものです。

 

 

僕は講義でこれを勉強しながら、

「自分はなんでもいいから夢中になりたいのではなく、社会的な価値があって自分が夢中になれることをしたいのではないのか。」

と気づきました。

 

 

 

そこで、僕はIT企業の長期インターンに応募しました。

 

働くことからは逃げられない。でも逆に言えば仕事は時間の制約がほとんどなく、ずっとできる。

 

だったら、仕事に夢中になってみよう。

 

そう思ったからです。

 

 

この行動は大正解でした。

 

朝10時から夜の10時まで働くこともよくあり、大学と長期インターンの掛け持ちは大変でしたが、大学2年生のクソ生活よりずっと面白かったです。

 

 

また、1年生の部活よりも、自分の未来に直結しているし、周りからも成果が認められるようになったので、充実感がありました。(部活を否定している訳ではありません。個人的な価値観の問題です。)

 

 

 

そんな自分の大学生活から考えると、中高生の勉強っていうのは夢中になるものとして、時間を割くべきものとして最高なんじゃないのかと思うんです。

 

周りからも褒められるし、自分の未来につながっているし。

 

ただ、それに気づけるのは、多くの人は大人になってからなので、塾の先生として子どもたちにうまくトークで伝えていきたいと思います。